偉大なということ

もう、ずっと同じニュース映像を見ている気がする。

どれだけの人々が言葉と心を寄せたことだろう。何のつながりも無い他人だけど、あの場に集まる大勢の姿に、またそれだけの縁を紡いで生きた老婦人に、今さら敬意を表したくなる思いがしてたまりません。

中には、互いに話をしたことも無い間柄の人達もいたんだろうな。それでも皆で集まれば自然と悲しい気持ちが癒されそうな気がするし、一堂にいられることに対して言えば(誤解を恐れずですが)、何か貴い光栄なことのようにも感じます。

その人徳により多くの縁を結びつけることで、悲しみを分かち会い、涙を拭わすこともできる。一人一人の心を解放してゆくように、最期まで人生を懸けて強く優しく生き抜いた軌跡を、でき得る限り忘れないでいよう。

合掌

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